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【性交禁忌の日】5月16日にセックスすると3年以内に死ぬ!?セックス禁止の由来や意味

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5月16日は、「性交禁忌の日」です。「5月16日にセックスをすると3年以内に死ぬ日」だそうで、ショッキングな言い伝えのお話しです。

以降、真面目な話しの内容ですが、「セックス、性交」などの文字、話しが出て来ますので、不快と思われる方はスルーして下さい。

「性交禁忌の日」の「性交」は、わかりますよね!

「禁忌(きんき)」は、忌(い)み嫌って慣習的に禁止、避けたりすること、してはいけないことで「禁止」の事ですから「セックス禁止の日」と言う事です。

こんな記念日?なるものもあるのですね。驚きです!日本の記念日・年中行事に「性交禁忌の日」と、存在しています。

遡ること江戸時代前からの話しですから、5月16日の「旧暦」となり、現在の西暦にすると、おおよそ一ヶ月後になります。単に、旧暦の5月16日を指しているのかも探っていきたいと思います。

5月16日の「旧暦」は、「旧暦計算」と検索して、検索されたサイトから「旧暦の5月16日=今年は6月○○日」と計算してくれますので、検索願います。

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性交禁忌の由来

なぜ、5月16日(旧暦)が、セックス禁止の日なのか?

江戸時代に発刊された艶本「艶話枕筥(つやばなしまくらばこ)」の一項目に「五月十六日房内禁事、犯すときは三年を出ずして死す。」と記載されたことから、公に広まったとされます。

男女File

要は「5月16日にセックスしたら、3年以内に死ぬ。」と言う事ですが、医学書の「医心方(いしんぼう)」という本に「房内禁事」と書いてあったのでそれを参照、また伝承により、艶本「艶話枕筥」に記載されたと言う事です。

艶本(えんぽん、えほん)は、男女の性交渉を絵や文章で表現した本で、現代でいうエロい本の類です。

江戸時代の民間風俗として「温泉の図」、「表四十八手」等の、艶本が、多数発刊され当時は、男性のみならず女性の愛好者も多く、男女の隔てなく楽しんでいたようです。

「医心方」説

根拠となる「医心方」とは時は平安時代。医学書「医心方(いしんぼう)」は日本最古の、全30巻の医学書であり著者は、医博士・鍼博士の丹波康頼(たんばのやすより)で、遠祖は中国の王朝・後漢の渡来人の流れを汲む人物です。

中国の仏教と共に日本に伝わった膨大な医学書等、204部から引用、構成されてます。

医学総論・思想、内科・外科など各科疾患の療法、美容、養生法、医療技術など医療全般を網羅編集し医学書としてまとめられ、984年(永観2年)、当時の朝廷に献上されました。

数百年の間、天皇・貴族だけの「宮中の秘本」とされ門外不出で保管されていましたが、次の時代から次へと書写され、江戸時代幕末には広く世に知られる文献となりました。

1984年(昭和59年)には文献学上、重要な書物とされ国宝と指定され収蔵されています。

医心方 「第二十八巻 房内篇」

そして医心方の代名詞ともなる「第二十八巻 房内篇」があり、男女の寝室での性交における性愛の前戯や技法、数々の性交体位など「男女の営み」について事細かに性の生理学、医学的な視点で記載されています。

人々が興味を引くものでもあり平安時代の貴族社会が有する性交渉の教科書、指南書とされました。

「房内(ぼうない)」とは、閨房(けいぼう)の中、部屋の中の意味で、男女の寝室での営みの事で、性交渉を意味します。

房内篇 「禁忌 第二十四」

巻二十八巻、房内篇の中に「禁忌 第二十四」があります。

「・・・又云、素女論曰,五月十六日,天地牝牡日,不可行房,犯之,不出三年必死。何以知之。但取新布一尺,此夕懸東墻上,至明日視之,必有血。切忌之・・・」と、記載されています。

つまり「・・・3年以内に死ぬ。何をもって知るのかは新しい布をこの夕の東に懸けて、明日、必ず血色がある・・・」と簡略しましたが、性交を避けるべき日の、禁忌の一文です、

艶話では、この辺りの項目が参照されたことになります。

「素女論」は、丹波康頼(たんばのやすより)が資料とした、性書「素女経(そじょきょう)」を引用したもので、なぜ「5月16日」なのかは記述がありません。

朝廷医官でもあった丹波康頼は医学書の医心方に、医学書らしからぬ誤解されやすいテーマである性交渉の教科書を導入した背景には当時、より多い人を相手にして恋愛することが推奨されたようです。

「色好み」と言われる社会風俗にあり房内は「奥まった貴族の寝室」を指しており、貴族社会の行き過ぎた性交の認識を改めるため、本来の「房中術(ぼうちゅうじゅつ)」 を、医学的に再認識させる目的があったと思われます。

「房中術を正しく行なわなければ、夭折の慚有り、そして正しく陰陽の術を得ば、即ち不死の道なり」と、いう内容もあります。

房中術は養生法の一つで「目的は病気予防と長寿であり陰陽の規律に順応した男女の交わりは節度があれば、適度な楽しみとなり心は穏やかで長生きできる。快楽におぼれて節度なければ病が生じ、命が損なわれる。」という内容。

これは、性に対する人間の必須の行為にある性生活における正しい技法の事で、男女の身心の和合を目指すものです。

根底には中国道教の、陰陽説や五行説に密接な関連があり凶日の一日であることは確かです。

陰陽五行思想(1)

森羅万象、「陰(いん)」と「陽(よう)」の、対立する2つの気が存在することで成り立つとされる「陰陽思想」。

そして、天地万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという「五行思想(ごぎょうしそう)」が結び付き生まれた中国の思想である「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」がすべての端を発しています。

庚申信仰説

5月16日にセックスすると死ぬという、もうひとつの諸説。

伊予史談会双書 第21集に当たる松山藩家老、「日下部維岳(くさかべいがく)」著の(松山藩:伊予国温泉郡:現在の愛媛県松山市)19世紀前半の文化年間から天保期に記述された随筆集「古今記聞(ここんきぶん)」の22頁。

「五月十六日の日夜とも淫事をかたく慎むへき事也、或人知らす淫行ありしか果て翌年死去也、庚申論に、右の夜淫事あれハ夫婦とも三年の内ニ死すと也」と、同じようなことが記載されています。

こちらの場合の根拠は、中国道教の「庚申信仰(こうしんしんこう)」が由来となっています。

「庚申経」に基づく「庚申信仰(こうしんしんこう)」は陰陽五行思想ではありますが、仏教・密教・神道・民間信仰・習俗など特殊な様相を以つ複合信仰です。

庚申の日

そして、庚申信仰となる「庚申の日」の行為があります。

種々様々の禁忌や決まりを伴っている信仰に基づくもので、この信仰の中心となる行為は「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる「徹夜して眠らず、身を慎めば長生きできる」という信仰です。

暦、時間、方位などに用いられる干支(かんし、えと)の一つに「庚申(かのえさる、こうしん)」があるのも、由来しているものです。

陰陽五行思想(2)

陰陽五行思想では、庚申は「金の気」になり「庚=陽の剛金」、「申=陽の柔金」で、同じ金の気が重なり、万物に充満する金気の身に及ぶのを防ぐ必要があります。

悪い方向性が重んじられ、益々悪くなることから「庚申の年」や「庚申の日」は、「金気の殺気」であって「人の心が冷酷になりやすい」と言われます。

女性の月経や出産が穢れだという思想も含め、夫婦の営み、結婚なども禁忌とする因習があり人の早死にを防ぐ目的があったと思われます。

三尸説

徹夜して眠らずの由来でもある「庚申信仰」の主となる内容は、庚申経に説かれる「三尸説(さんしせつ)」があり、人間の体内に「三尸(さんし)」という3匹虫が宿っていると考えられていました。

「上尸(じょうし):人の頭の中に潜み、首から上の病気を引き起こし宝貨を好ませようとする虫。」

「中尸(ちゅうし):人の腹の中に潜み、臓器の病気を引き起こし大食を好ませようとする虫。」

「下尸(げし):人の足の中に潜み、腰から上の病気を引き起こし淫欲を好ませようとする虫。」

この三尸も、まさに金気そのもので、宿っている人間が死亡すると「自由」になれるからで常に人間の早死にを望み、寿命を縮めようとしているわけです。

でも、普段は体内から抜け出すことは出来ず「庚申の日の、人が眠っている間」にのみ体内から出られるため、人は徹夜して眠らなかったのです。

人が眠りに就くと、三尸は天に昇って天帝に、その人の日頃の悪行を告げに行きます。

天帝は、司命道人(寿命を司る神)に命じてその悪行に応じて、その人の寿命を縮めさせるとしています。

金気を制するものは「火」で、金の「言(虫の告げ口)」に対し、火は「視(人の不寝)」にあたります。

守庚申

ですから、庚申の日の夜は男女の情交はもってのほかであり、身体を清め慎しんで念じ、一夜を明かす行ないをし、充満する金気の殺気が身に及ぶのを一心に守る(防ぐ)、庚申を守れば、苦しみを逃れることから「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行為が行われました。

しかし次第に民衆へと広まるとともに謹慎して眠らずにという思想ではなく「庚申会(こうしんえ)」、「庚申待(こうしんまち)」という、村中の人達が集まって神仏を祀り、禍(わざわい)を逃れ、豊作を願い夜を明かす行事に変化してしまいました。

中国から伝えられた庚申信仰は、中国の書物を理解していた人や宮廷貴族や武家の間で流行し意味を理解した「守庚申」でしたが、その伝承は時を減る事にお祭りのような行事になってしまったのです。

果たして、村人たちは「三尸説」を知っていたのだろうか?

庚申の日は60日間隔で来ますから、年に6回(もしくは7回)あることになります。

庚申の日はいつかというと「202〇年 庚申の日」等で検索すれば、その年の庚申の日が検索できますので、検索願います。

ちなみに「2020年 庚申の日」で検索した結果は
2022年01月07日
2022年03月08日
2022年05月07日
2022年07月06日
2022年09月04日
2022年11月03日

です。

往亡日説

陰陽五行思想において「往亡日(おうもうにち)」と言う「凶日」があり、戦の軍進や遠行、移転、転職、婚礼、神社仏閣への参拝など忌み禁じる日で「往(行)きて亡くなる日」という意味があります。

「5月16日」は、まさしく往亡日と思いきや、正確には「5月節(芒種ぼうしゅ)から16日目」が往亡日で「芒種の日」は、その年によって違いますが6月5日か6月6日になりなす。

それから16日目となると「6月20日か6月21日」になります。

現在のグーグール検索で「芒種の日」と検索すると、検索トップに「〇月〇日〇曜日」と検索結果がでますので、こちらも検索願います。

往亡日は1ヵ月に1日あり、年間で12日間も存在することになります。

それ以前の話に「往亡日の5月節から16日目」を指しているのかは謎です。

まとめ

総論としまして、禁忌は江戸時代後期には、定着していたようですが、昔は電気も何もなくあとは寝るだけの生活で何をしますか?

毎晩のように性交してた時代ですから、むやみやたらの精気の消失は老化や死を早める、しかしながら、欲は改善されなくむさぼる者の身には、様々な病気を引き起こし、昔の知識人にとっては戒め抑制させる何かが必要だったわけです。

それが

●「医心方(いしんぼう)」の「素女論5月16日」。

●守庚申の始まりは西暦800年頃。

古今記聞(ここんきぶん)の「庚申論5月16日」は医心方の、約850年後の文献(1830年頃)であり内容は、ほぼ同じです。

「房内書」の引用、伝承の域であると思われ「庚申の日」は、60日毎に訪れ、年に6回(もしくは7回)あり毎年、日にちが違う事、「庚申の日」=「5月16日」とは限らない事。

●往亡日は年間で12日間、存在します。

「5月節(芒種)から16日目」昔は、「5月16日」と関係していたのか?

●単に「旧暦」の「5月16日」だったのか?

●旧暦5月内

最も昼の時間が長い「夏至(げし)」があり、陰陽で言う夏至は「陽気」が最も強く極まった時で、その後「陽気」が衰え、「陰気」が強まり始め、「陰気」が極まる「冬至」に向かう転化日であり現在では、「6月21日」頃です。

無理やりこじつけると往亡日は、「6月20日か21日」ですから、同じ頃になります。

結局、色々と調べ述べてきましたが「なぜ5月16日」なのか!?

結果「性交すると3年以内に死ぬ」と言われているだけで「5月16日の理由、根拠」を述べている文献が見当たらなく早い話、明確な解答が得られなかった訳ですが、この件に関しましては様々な有識者が調べていて、未だに明らかになっていない様です。

最後に

文献の「庚申」の文字付近には「呪日」なる文字も目立ち、庚申の日は、よほど忌日であったと思われます。

庚申日に限らず性交そのものを不浄、稼れとする思想や月経や、出産による血の稼れとすると思想など、それが禁忌とする日に重なると、子孫繁栄が危ぶまれるという、因果応報にまつわる思想もありました。

三尸の虫は、蟯虫(ぎょうちゅう)的なものと思われ肛門括約筋が緩む時、多くは人の睡眠中に産卵を行うのが、蟯虫の生態系で健康阻害に間違いありませんし、医心方では寄生虫のこととあります。

全ては、陰陽五行思想に基づき、陰陽2儀の理に通じており五行の運行に適合した規則にあり、天地万物を男女で考えると男性は、「陽」で「火」の本性で「夏」の象徴であり、灼熱のような火の性質。

女性は、「陰」で「水」の本性で「冬」の象徴であり、胎内と霊性を兼ね備え、涌き出て流れる水の性質。

男女の和合は天地の事象に基づき、調和すれば秩序が保たれる事になります。

陰陽の規則に順じて、男は陰の気を感じ、女は陽の気を感じ人の意思に左右されない陰陽の結びつきで心が一つになろうとする自然の正当な流れであり、健康増進、老化防止、長寿延命に繋がり精神と肉体の完全調和を重要視し、生活や心の質を充足させるものです。

陰陽が和合(調和)して、初めて生成が可能となり「新たな生命の育み」に重要な役割を果たします。

不和合は陰陽の秩序が混乱していて、双方にとって利益がない事です。無理不快な性交、過剰性交、一時的快楽を求めるもので、病気の原因となり、精神を傷つけ早逝し気象、災害、天変地異までもたらす万物の生成消滅です。

性交に限らず「禁忌日」とし気運が非常に悪い日は「何事も慎みなさい」という、森羅万象と称し「禁を犯せば」という警鐘を促したと思われます。

迷信、俗信であり伝承が、違った伝承を生みだすこともあり、根拠のない推測も多く存在していた昔です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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