時の記念日(ときのきねんび)は6月10日です。
日本で初めて
時計装置が使われた日(671年.6月10日)を記念して
1920年(大正9年)
東京天文台(現:国立天文台)と
生活改善同盟会(文部省外郭団体)によって制定され
国民に
「時間を守ること
時間の大切さを尊重する意識」を広めるためでした。
歴史的背景
江戸時代・明治初期の日本は時間に対しての認識が甘く
大正時代に入り近代化が進むにつれ
諸外国に追いつくためには
「時間」に対する認識を変えなければいけないとの考えから
日本国民に
「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」
と呼びかけ、設けられた記念日です。
大正期に
東京教育博物館(国立科学博物館の前身)は
「コレラ病予防通俗展覧会(1916年)」や
「生活改善展覧会(1919年)」などの展覧会を開催し
この「生活改善展覧会」が契機となり
科学知識の普及と生活の改善を目的として
1920年(大正9年)1月
伊藤博邦(博文の養子)を会長とし
渋沢栄一、棚橋源太郎らはじめ
政界、財界、教育界の有力なメンバーを擁し
「生活改善同盟会」が発足しました。
活動は
衣食住や社交儀礼等、
生活全般に関わる合理化と節約とを目指し
生活改善方法の普及を推進するものであり
第一に掲げた項目が
「時間を正確に守ること」でした。
そうした背景の元
1920年5/16~7/4まで
「時間を正確に守ること」の重要性を訴える目的で
文部省の主催による、
「時の展覧会」が開催されたのでした。
多数の「時」に関する機器や絵図、暦などの資料、
古時計、万年時計や天文関係資料や天球儀、
「女性の一生における化粧に要する時間」を
解説したパネルなど
時間節約・作業能率化のための各種資料等が展示され
年齢や性別を問わず人気をよび
展覧会の会期を延長する開催となりました。
時の記念日由来
この「時の展覧会」の会期中に
「無形の展示物」として
6月10日を「時の記念日」と定め
事前に時間尊重の宣伝をし行事したことが
契機になって
「時の記念日」が生まれたのです。
当時
宮城の午砲(ごほう:時間を知らしめる大砲)や
神社・寺院・教会・大工場の鐘鼓を鳴らし
東京市内ではビラが配布されたようです。
一応、
生活改善同盟会が配布した当時の「ビラの内容」は
時の記念日
この六月十日は、1,250年前、畏くも、天智天皇が、
漏尅水時計を用いて報時の事を行わせられました日に当たります。
我等は斯様な由緒ある日を記念に一層、時間を尊重し、
定時を励行致したいと思います。
〇執務の時間
•出勤、及び退出の時間を励行する事。
•勤務と休養の時を区別し、時間を空費せぬ事。
•取引約束の期日を違えぬ事。
〇集会の時間
•集会の時日は、多数者の都合を考えて定める事。
•開会の時刻は掛値をせぬ事。
•集会の時刻に遅れぬ事。
〇訪問の時間
•先方の迷惑する時間の訪問は慎む事。
•訪問は予め時間を打合せる事。
•簡単な用談は玄関店頭で済ます事。
•面会は用談を先きにして早く切り上げる事。
•来客は待たせぬ事。
〇正確な時計
時間の励行には、正確な時計が第一に必要であります。
正確な時間に合わせるには
午砲の外に最寄りの電信局及び 停車場に行くがよろしい。
午砲は約三町毎に一秒遅れて聞えますから、
それだけ差し引く必要があります。
生活改善同盟会
漏尅(ろうこく)文献
日本書紀(奈良時代に成立した日本の歴史書)では
斉明(さいめい)天皇六年五月是月(西暦660年)に
「是月、・・・又皇太子初造漏尅。使民知時。・・・」とあり
現代語では
「この月に、・・・また、
皇太子の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)が
初めて漏剋(ろうこく)をつくって民に時を知らせた。」と
ありますが日付がありません。
後の西暦671年
天智(てんぢ)天皇十年四月辛卯
「夏四月丁卯朔辛卯、置漏剋於新臺。始打候時動鍾鼓。
始用漏剋。此漏剋者、天皇爲皇太子時、始親所製造也、云々。・・・」
現代語では
天智天皇即位10年、
夏4月の丁卯(ひのとう)の朔辛卯(かのとう)の日
つまり
「夏4月25日
漏剋(ろうこく)を新しい臺(うてな:台)に置き、
始めて候時(トキ)を打ち、鍾鼓(カネツヅミ)を轟かせた。
始めて漏剋を用い、
この漏剋は天皇が皇太子になられた時に、
始めて親(みづか)ら製造されたものである。」と
あります。
天智天皇として即位し、近江大津宮への遷都にともない
天智天皇が太子のころ作った漏剋としているので
鐘楼が新築され、
漏剋は飛鳥(奈良)から大津に移設されたと考えられます。
天智天皇10年の4月25日は
西暦671年6月10日にあたります。
「漏尅(ろうこく)」すなわち「漏刻」は水時計のことで
「漏尅」創設の記述が西暦660年にあるものの
日付がないので、
後者の日付が記される6月10が
「時の記念日」に採用されたものと考えられ
唐から伝えられたという漏刻(水時計)を建造し
鐘や太鼓を打って時を知らせる「時の奏」を行った日は
天智天皇10年4月25日の故事に基づいています。
漏刻とは
漏刻とは、
水を流し、容器に溜まった水位の変化から
時間の推移を読みとるものです。
いくつかの木箱を階段状に置き
一番上の箱に水を満たし順に一定間隔で水を流します。
最下段の箱には
目盛を付けた矢などが入っています。
最下段の箱に
水が入り水の量が増すに従って
そこに浮かべてある矢などが浮き上がります。
浮き上がる位置の目盛を読むことにより
時刻を計るようにしたものです。
日本には日時計しかなかったため、
夜になると時間が測れなかったので
この漏刻設置とともに
季節によって時刻が変らない時刻制度が実現され
平安時代末まで約500年にわたり時を刻み続けましたが
徐々に廃れてしまいました。
電波時計
電波時計が正確に時を刻む理由は
10 万年に 1 秒しか誤差がでない
高精度のセシウム原子時計によって作られ
福島県の「おおたかどや山標準電波送信所(40 kHz)」と
佐賀県の「はがね山標準電波送信所( 60 kHz)」の
2ヶ所から標準時刻電波が発信されているからです。
時の記念日では、
ずれてしまった時計を直し
時間に遅れたり時間を無駄にしないようにする試みとして
福島県の「おおたかどや山標準電波送信所」から、
40kHzの電波で、
日本の標準時間を全国へ発信する取り組みが行われています。
ちなみに
おおたかどや山標準電波送信所は
1999年(平成11年)6月10日の時の記念日に運用開始されました。
最後に
「時は金なり」とよくいわれますが
「時間はお金と同じくらい貴重で大切であるから
無駄に浪費してしまうことなく有意義に使いましょう」という
意味の言葉で
時間という目に見えないものの大切さを表しています。
時間は
世界のすべての人々に平等に与えられていて
二度と取り戻せない大切なものです。
そして時間は止まっても待ってもくれません。
こうしている間に時は過ぎて行きます。
時間は無限にありますが
人には限られた時間しかないのです。
「時の刻みは命の刻み」ともいいます。
その限られた時間をどのようにして使うのか・・・
時間の大切さを改めて考える良い機会ではないでしょうか・・・
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