建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、2月11日です。
意外なことに「建国記念日」ではなく、正式名称は「建国記念の日」です。
なぜ「建国記念日」ではなく「建国記念の日」なのでしょう・・・
「建国記念の日」の意味や由来、日本神話だった歴史を追跡。
また、2月11日は「万歳三唱の日」です。
◇「万歳三唱の日」の話
建国記念の日の成り立ち
簡単に言えば、歴史上において「日本の建国された日」がわからない。
また、日本建国をした人物は「実在の人物」ではなく「神話」として扱われているため、日本の起源として定かでないというのが理由です。
従って、いにしえをたどって「日本の建国を祝う」にしか定まらず「この日を建国記念日」にしようという、あいまいな意味合いから「の」を入れたのが「建国記念の日」です。
1966年(昭和41年)に制定された、日本の「国民の祝日」の一つとして「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもと、日本の建国を祝う日として出来た「建国記念の日」です。
建国とは、一言で申しますと新たに国家をつくりあげることです。
建国神話とは国家の起源についての神話です。
「建国記念の日」は実は、建国神話(日本神話)から誕生したのです。
建国記念の日の意味や由来
「建国記念の日」の意味や由来は「建国神話」や「起源説」などで探っていきます。
建国神話
時は天皇中心の近代国家を築く、明治時代。
日本の起源を祝日にしようという動きがあり、神話上の人物とされる初代天皇による日本の紀元から話が始まります。
旧暦紀元節
日本に伝存する最古の歴史書である「日本書紀」の記述によると、初代天皇とされる神武天皇の即位日が紀元前660年1月1日 です。
明治政府は1872年(明治5年)11月、日本国の建国の日として「紀元節(きげんせつ)」と命名し、神武天皇即位日である旧暦元旦は、当時「1月29日」にあたりその日を、祭日として制定しました。
新暦紀元節
翌1873年(明治6年)1月29日に「紀元節」の諸式典が行われました。
しかし明治6年から「新暦」採用に伴い、神武天皇の即位日である旧暦元旦を算出し「2月11日」と特定し、同年10月に「2月11日」が「紀元節」の日付と改められ、翌1874年(明治7年)2月11日から適用されました。
建国記念日案
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、天皇や神道を中心とする日本を懸念しGHQ(連合国軍最高司令部)の意向で廃止されてしまいました。
その後1951年(昭和26年)頃から「紀元節」復活の動きが活発になり、1957年(昭和32年)建国を記念するため「建国記念日」と名前を変えました。
衆議院議員らによる「建国記念日」制定に関する法案が提出されましたが、成立には至らず、提出と廃案を何回も繰り返します。
建国記念の日
何月何日を「記念日」とするかについても、議論がなされていたことから「2月11日」でなかった可能性もあったわけですが、ようやく1966年(昭和41年)「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立し、国民の祝日として翌年2月11日からから適用されました。
野党等からの相次ぐ反発や歴史学において、神武天皇の存在に確証がないことなどから神話人物である神武天皇の即位日を「建国」とすべきかの議論が生まれ、成立までにかなり時間がかかった背景があります。
まとめ
日本では、実際の建国日が明確ではないため建国神話(日本神話)が基となり建国を祝う日として「建国記念の日」が成立しました。
結局「の」を入れることによって「日本が建国された記念日」ではなく、「日本が建国されたという史実そのものを記念する日」と解釈することで、ようやく成立したのです。
つまり「現実に日本が存在するので 建国された事に対して記念して祝いましょう。建国された日ではないないけれど、2月11日を記念する日とします。」という建国されたこと自体を記念する日が、国民の祝日である「建国記念の日」です。
逆に言えば日本はいつ建国されたかわからない国であるということです。
「国民の祝日」が祝日法で日付を定めているのに対し、「建国記念の日」のみが「政令で定める日」と定められていています。
その趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」を、正確にいうと「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定められています。
「建国の日」は、確固たる明確のないものであり曖昧的な「の」の意味がある「建国記念の日」の話でした。
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