「鬼は外、福は内」といえば節分(せつぶん、せちぶん)です。
地方よって異なりますが、柊鰯(ひいらぎいわし)などを飾り、福豆(炒り大豆)をまいて、厄除けの行ないとして一年の無病息災を願い、年齢の数だけ食べます。
または、年齢数+1豆、多く食べるのが一般的です。
炒った大豆を「福豆」といいますが、生の豆はダメですよ!豆から芽が出てしまう(魔目)という意味から縁起が悪いとされています。
「火」で大豆を炒る(けものを射る)ことで、鬼を火で封じ込めて、豆を食べてしまうことにより、「鬼退治」 完了となるわけです。
節分とは
「節」と「分」で季節の分かれ目を意味し、立春の前日のことで雑節と呼ばれる中の、一日です。
立春、立夏、立秋、立冬の前日と、1年に4回、節分がありますが、立春は新年を迎えることと等しいぐらい、1年の始まりの大切な節目と重視し、「春の節分」のみに定着すようになりました。
雑節(ざっせつ)とは二十四節気(春分・夏至・秋分・冬至など)
五節句(七草・七夕など)の日とは、別に設けられた季節の移り変りの節目、 目安となる日で日本独自の生活文化から生まれた日です。
雑節(ざっせつ)と呼ばれる日は
・土用(どよう)…春、夏、秋、冬土用
・節分(せつぶん)…春、秋彼岸
・彼岸(ひがん)
・社日(しゃにち)
・八十八夜(はちじゅうはちや)
・入梅(にゅうばい)
・半夏生(はんげしょう)
・二百十日(にひゃくとおか)
・二百二十日(にひゃくはつか)
が、主ですが
・初午(はつうま)
・三元(さんげん)の上元、中元、下元
・大祓(おおはらい)を雑節とすることがあります。
節分は、家の主である父親や年男(としおとこ)が豆をまき「鬼を追い払う」という行事ですが近年では、家の主が「鬼の面」を被ったりなど、豆まきの傾向は様々ですが、さらに今日に至り忙しい父親は、面を被る事も、豆まく事も無くなりつつあります。
節分の日は変わる?
節分は毎年2月3日です。
と、思われがちですが、近い将来では2021年と2025年は2月2日になります。
節分は、立春の前日であると定義されてますから1年間=365.2422日の計算に基づき、4年に一度の閏年(うるうどし)を設け季節と日付にズレが生じないよう調整してますが、天体の運行に基づくと、少しずつのズレが生じ2月の2日、3日、4日が節分だったりと常に日にちが固定されていません。
本来の、豆まきの準備は、炒った大豆を、枡や三方に入れ神棚にお供えしてから、夜に撒きます。
窓や戸を開けて「鬼は外」と外へ向かってまき、鬼が入らないようすぐに窓や戸を閉めて、「福は内」と室内にまきます。
奥の部屋から最後は玄関に至るまで、まきますが豆まきも千差万別で、地方によって異なります。
鬼を祭神とする地域や神社、または「鬼」の付く苗字や地名での掛け声は「福は内、鬼も内」と言う所もあり、豆まきの炒り豆に関しても「落花生」、「かちぐり」などを、まいたりなど口上、まき物も地方によって様々な特色があります。
鬼追いと豆まきの原点
中国から伝わった行事で、平安時代第42代、文武天皇(もんむてんのう)の時、「追儺(ついな)」という悪疫邪気祓いの行事で鬼やらい、なやらい、大儺(たいだ)などと呼ばれ、豆ではなく弓矢、棒などで追い払い1年の疫鬼を払って、新年を迎える行事として大晦日の夜に盛大に行われていました。
それとは別に旧暦でいう節分の立春は、大晦日くらいにあたる頃、節分として行われていた行事があります。
それは恵方の方角にある、家に宿る(泊まる)という「方違え(かたたがえ)行事」といい、その中の一儀式に「豆打ち(豆まき)」の儀式があります。
節分の日に新年の恵方の方角に行って一夜宿泊し、邪気を避けるという行事ですが時代と共に簡略化され、自宅の恵方にあたる部屋に移って、豆を撒いて清め 邪気を祓うようになりました。
これが、豆まきの原点とも言われています。
春を迎える方違え=節分の行事
新年を迎える追儺=大晦日の行事
となり、「追儺の鬼追い」と「方違えの豆まき」が ベストマッチとなりました。
「追儺」と、節分の「方違えの行事」は、本来は別々の行事であり両方平行して行われていた時期もありましたが、宮廷文化の衰退と共に追儺の行事は、次第に節分行事に移行するようになったのです。
「鬼は外」の語源も含む、この2つのルーツが今でも節分の豆まきとして残っています。
また第59代、宇多天皇(うだてんのう)の時代、鬼が出没して(鬼なのかは疑問ですが、
「陰(おん)」は
目に見えない気、邪気のこと、
「隠(おぬ)」は
姿の見えないもの、この世にないもの、
この「陰」 「隠」が鬼の語源で
鬼には陰に隠れて恐いものという概念。
病、災害、飢饉などの恐ろしい出来事は
人間によって想像から生まれた
姿、形の見えない産物であり
鬼の仕業と考えられていたのです。)
炒り豆を鬼の目に投げつけて、鬼の目をつぶし、災難を免れたという「豆まき」の話しもあります。
「陰陽五行説」では「木・火・土・金・水」の五元素によって森羅万象が成り立っていると考えられてます。
硬い豆、金棒を持っている鬼や邪気や厄病は、「金」にあたり、火が金を溶かす、滅する」事から豆を火で炒ることで、鬼や病を封じ込めるという意味があります。
また、春は「木」にあたり「金は木を滅ぼす」事から春の訪れを妨げる金」を抑えるため「金」の豆を炒ることで「木」を助けるという意味を持ち、春を助けて春を呼ぶ行事として、豆まき」が、鬼や邪気を祓うと考えられました。
なぜ、豆まきをするのか?
季節の変わり目は邪気が生じる節目であり、鬼が現われる時と伝承され邪気を追い払い福を呼び込むと考えられてきました。
穀物や、果実には「生命力が備わり、邪気を払う霊力」があるといわれており、一年の無病息災を願うわけです。
大豆は五穀のひとつで、神行事にも用いられ、穀霊が宿るといわれその霊力によって、悪霊を退治することができると考えてました。
「桃の実」を百個投げると鬼が退散したなど百(ひゃく)は「もも」とも読み 色々な鬼退治説があります。
桃は投げてませんが、「桃太郎」の昔話も「桃」が登場してますね。
節分の豆まきの「豆」のことを「魔滅(まめ)」とも言います。
その理由となる語源は「豆(まめ)→ 魔目」を鬼の目に投げつけて、鬼を追い払い、魔を滅することから鬼(魔)を滅する意味で「魔滅」となります。
なぜ、柊鰯なのか?
柊鰯にも「鬼の目」の言い伝えがあるのです。
柊鰯は、葉の付いた柊の小枝に焼いた鰯の頭を挿したもので、魔除けとして飾ります。
鰯を焼いて、くさい臭いと煙で鬼が近寄らないようするためです。
それでも、鬼が来ようものなら柊の葉のトゲが鬼の目を刺し、追い払うという意味です。
もうひとつは、逆で鰯の臭いで鬼を誘い出し柊の葉のトゲが鬼の目を刺し追い払う、いずれも、魔除けや邪気除けの風習です。
最近では、柊の代用と言うか知ってか知らずか?
割り箸一本に、鰯の頭を挿したものがおおく見られますね。
地方よって異なりますのであらため、ご了承下さい。
最後に
幼児に限らず注意!
大豆アレルギーや豆が鼻や耳に入るなどの危険性が報告されていますので注意して下さい。
意味なくして行事はありません。
物事には順序や決まり事など必ず意味があります。
日本伝統の行事や文化といったものを、次の世代に伝える必要性は大変重要な課題であると思っています。
今、生きている人々が出来る事、知っていることを残すこと、昔の文献以上の知り得る限りを共有し後世に伝える事も今後の使命ではないでしょうか・・・
最後までお読み頂きありがとうございました。
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