円山動物園と言えば
札幌市中央区の
円山公園内にある動物園。
上野動物園(東京)から
移動動物園を招き
それが
きっかけとなり
北海道では
初めての動物園として開園しました。
数年前の話しになりますが
円山動物園に
「レディ」と言う名前の
メスのチンパンジーがいます。
そのレディに
何と!
遺産1000万円を寄付した人がいると
TVで放送され
ちょっと、
ビックリもしましたが
見入って感動してしまいました。
そんな
話をお伝えさせて頂きます。
その男性は
定年退職後の5年後
時は
2009年4月。
ウオーキングを兼ねて
動物園に通い始めたのが縁となり
子どものメスのチンパンジー
「レディ」と出会いました。
この日から
掛け替えのない日々が始まります。
レディは、
2006年2月28日生まれ。
生後2カ月だった(2006年4月)時
母親「エリサ」に抱かれた状態のまま
鉄塔から落下してしまい、
かばった母親が亡くなりました。
エリサは
過去に腕を怪我して
握力が弱っていたのです。
レディの
人工哺育が始まり
飼育員の手で育てることになり
そんな、環境下の元
いくつかの段階を経験させ
群れに返す訓練を続けている頃、
その男性とレディは出会います。
男性は
札幌市北区の
元高校教師、工藤桂一さん(64歳)独身。
何か、自分の人生と
重なり合うところが
あったのかも知れませんね。
母を亡くしたチンパンジーである
「レディ」を案じて
園に通い続けることになったわけです。
年間300日以上も通い、
開園の午前9時から
午後4時頃まで
応援して見守り続けたといいます。
彼を、
そこまでさせたのは、
一体、何があるのでしょう・・・
家族や
我が子を見守るような気持ちと
共通するものが
あったのではないでしょうか。
身近な親族は
いらっしゃらなかったようですから・・・
彼は
2010年9月
自分が病気である事を知って
間もなくの
2010年10月1日
レディは、父親「トニー」と
待ち望んだ再会をし、
群れで
幸せに生活するレディを見届け、
入院して闘病となってしまいました。
彼の
心の支えは
レディと触れ合った時間や
レディの話を聞くことでした。
そんな願いが叶い
最後となる
円山動物園に訪れたのは
2011年7月2日。
その日
入院していた病院の協力のもと
医師、看護師スタッフや
動物園で知り合った人たちが
付き添い、
車椅子で園内を回り
レディに再会したのです。
「十分満足」と
涙を流したといいます。
「お前は、
お父さんと仲間たちと
仲良く 幸せに 暮らすんだよ。」
と、最後のお別れに
「十分満足」の涙に加え
心を通じて話しかけた
無言の言葉があったと、私は感じます。
本人にしかわからない
願いや気持ちや思いが
たくさんあった事と思います。
動物と人間の係わりですから
はかり知れない関係であり
不思議な絆があったとも思います。
そして
2012年1月26日、
工藤さん(67歳)は、他界されました。
きっと
天国から動物たちを
見守っていて下さることでしょう。
「工藤桂一まるやま動物園応援基金」も
設置され
遺言ともなる
自分の思いを
生前から、友人に託し
遺産1000万円を
「遺産はレディに」と、頼んでいました。
法律上
動物への遺産相続は
禁止されており、
そこで
遺産を友人に相続し
円山動物園に
1000万円、寄付しました。
でもね~?
確かに
1000万円寄付したものの
役所に任せた記憶ありで
まるまる1000万円入ってないと言う
私、個人の記憶があって
1000万円の一部しか
園に入ってないと
妙な記憶がありましてね?
その点に付きましては
分かり次第、更新させていただきます。
レディは
4年半もの歳月をかけ
群れへの完全復帰を終えました。
父親の「トニー」と
外放飼場にて同居させた、
「トニー」に挨拶することもでき
グルーミングや
添い寝をする姿も見られた結果の
完全復帰です。
「レディ」と命名されたのは
気品ある優しい女性に
育って欲しいという
願いが込められています。
チンパンジーのレディと
気品ある優しい紳士との
充実のある、短い出会いの
深い話しでした。
いかがでしたか?
私には
真似の出来ない
考えさせられるテーマでした。
最後に、
皆さんご存知の
「nanaco」カードの
ICカードがありますね。
なぜか
「キリン」の絵が描いてありませんか?
それって
この、円山動物園に
関係あるんです。
この話しは
またの機会に・・・
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