線香花火といえば
夏の風物詩。
燃え尽きるかのように
楽しかったけど終わってしまったような
幻想的な火をじっと見つめた記憶
楽しさ、儚さ(はかなさ)、寂しさも
ひとコマに思い出す線香花火。
江戸時代に生まれた
日本独自の線香花火は
花火の中でも
一番地味でもあり華やかでもある
不思議な線香花火。
一時、
輸入の線香花火に押され
日本産の線香花火は
消えてなくなるという運命をたどるも
熱き想いで
伝統を継承する者が現れ
国産線香花火は
今日まで守られてきています。
原料も入手困難な時代になり
だったら自分でと
田んぼを買ったり
手持ち花火をすれば
クレームがくる残念な時代になり
だったら自分でと
花火ができる
宿泊施設をオープンさせてしまう
こだわりの線香花火職人
筒井 良太(つつい りょうた)さん。
MBS(毎日放送)の
「情熱大陸」にも出演され
伝統を守りながら
人の手でひとつひとつ丁寧に作られ
唯一、
筒井良太さんしか
作っていない線香花火が存在します。
線香花火や
伝統の光を絶やさぬ
筒井 良太さんの線香花火職人を
探っていきたいと思います。
線香花火の一生
線香花火(せんこう はなび)は
香炉(こうろ)や火鉢に
立てて楽しんだ姿が線香に似ている事から
線香花火と呼ばれるようになったのが
由来とされます。
燃え方にも名称があります。
蕾(つぼみ)
花火に火をつけると震えながら
どんどん丸く大きくなっていく火の玉は
今にも弾けそうな瞬間は花を咲かせる前の
「蕾」に、たとえられます。
しかし「蕾」は
燃焼の段階の一つに数えない場合が多いです。
牡丹(ぼたん)
やがてパチッ、パチッと
力強い火花が飛び散る様子は
美しく咲き誇る
「牡丹の花」に、たとえられます。
松葉(まつば)
火花は勢いを増していき
次々と四方八方に激しく飛び出す様子は
「松葉」の密集する姿に、たとえられます。
柳(やなぎ)
火花の勢いは衰え
火花の細く弱く垂れ下がる様子は
「柳」のように
細長い葉がしなだれる姿です。
散り菊(ちりぎく)
姿消える直前の
火花が一本、また一本と散っていく
「菊」の花の散り際に、たとえられます。
淡く儚い(はかない)
夏の宵闇(よいやみ)が残る
線香花火の燃え方は日本の伝統美で
火玉が光を失った瞬間
線香花火の一生は幕を閉じ
そうして変化していくさまは
人の一生にも
重ね合わせられています。
線香花火(せんこう はなび)の
基本構造には
「スボ手牡丹(すぼてぼたん)」と
「長手牡丹(ながてぼたん)」があります。
「スボ手牡丹(すぼてぼたん)」
出演:筒井時正玩具花火製造所
関西地方では一般的であり
西日本に多いです。
竹ひごや藁(わら)でできた柄の先に
黒色火薬がむき出しに付着しています。
先を少し上に向けて楽しむ方が
玉が落ちにくく
火花が大きくなります。
「長手牡丹(ながてぼたん)」
出演:筒井時正玩具花火製造所
関東地方を中心に広がったもので
東日本に多いです。
「長手」と言われる和紙の
こよりの先に
黒色火薬が包み込まれていて
下に垂らして楽しむものです。
当時、
「牡丹」は「富貴」の象徴とされ、
人々に愛された花です。
上方(近畿地方)の公家の間で
スボ手牡丹を
香炉に立てて鑑賞していたようで
江戸にも広まりましたが
この違いは稲作で
米作りが盛んだった関西地方では
豊富にあった藁(わら)の先に
火薬を付けて楽しんだのに対し
関東地方では
米作りより紙漉きが盛んだったため
藁の代用品として
和紙で火薬を包んだ為といわれています。
線香花火職人
線香花火の
国内の製造会社はたった4軒。
市場価格に合わないので
作る業者がほとんどいません。
筒井 良太さんの極上線香花火は
和紙をよった
「長手牡丹(ながてぼたん)」の製造は
勿論のことながら
藁(わら)を使った
「スボ手牡丹(すぼてぼたん)」を
製造しているのは
日本で筒井 良太さんの工場のみで
国内唯一の線香花火製造職人なのです。
400年前に生まれた
「西日本の線香花火」は、形を変えずに
筒井 良太さんが受け継いでいます。
やめてしまったら
日本の400年の歴史が途絶えることに!
線香花火に使う黒色火薬は
1.松煙(しょうえん)
松の切株を燃やした「すす」で
火花を起こします。
松の切株を30年以上
土中に寝かせた
宮崎県産の松煙を使用しています。
最近は
なかなか極上物が手に入らないそうで
新たに
びわの木などで試しているようです。
2.硝石(しょうせき)
発火と燃焼を助けます。
3.硫黄(いおう)
火球の役割をします。
スボ手牡丹の場合は
硝石、硫黄、松煙の原料に
「松やに」や「膠(にかわ)」を
湯せんにかけて練り込んだ
「練り火薬」になります。
上記、
3種類の原料を配合機で5~6時間 配合して
火薬をつくり
配合された火薬は紙袋に入れ
火花を安定させるため
安全な場所で1年間寝かせます。
ワインを熟成するように
年月が経つと
良い火花を出すそうです。
火薬を和紙で巻くことにより
はじめて火球ができるので
火薬だけでは
線香花火はできません。
紙は
福岡県八女市(やめし)の
手すき和紙を使用し
それを
草木染(天然染料を用いた染色)して
持ち手部分を
花びらのように縒り(より)上げます。
つまり基本
洋紙では線香花火は出来ません。
紙質や縒れや燃焼温度など
色々な問題があるのですが
単純に言えば洋紙では
線香花火の形を成さないからです。
何度も研究に研究を重ねて
秘伝の火薬の配合にたどり着き
火薬の量は0.08グラム
多くても少なくても
美しい火花になりません。
それでも
微妙な火薬の量や紙の縒り(より)方
空気の状況や気象条件よっても
花火の咲き方が異なるようです。
線香花火は
小さい分とても繊細である事がわかります。
原料の
作り手もどんどん減って
松煙(しょうえん)となる
松の確保も近年では難しく
スボ手牡丹の
持ち手部分になる藁も入りにくいので
田んぼを買って新規就農を始めて
線香花火の藁のために
米作りもしているこだわり。
筒井時正玩具花火製造所の
線香花火は
輸入物に比べると
火花の飛び方が大きく美しいだけでなく
1.5倍位 長持ちするといい
玉の温度は
最高で800度位
高温になった玉が落ちないのは
加減の難しい
和紙で火薬を包む力加減です。
薄い紙のこよりを程良く堅く縒ることで
火花の質を左右する職人技が光ります。
日本の線香花火を守った職人 筒井良太さん
線香花火の三大産地といえば、
信州(上田)、
三河(岡崎)、
北九州(福岡)でした。
昭和60年、
信州で線香花火を製造する
全店が廃業に追い込まれました。
続いて平成8年
三河で全店が廃業。
そして平成11年
北九州の最後の一店も廃業し
日本製の
線香花火の歴史が閉じられました・・・
豊臣 秀吉の朝鮮出兵時代の
筑後に「火薬方」を置き
豪族だった筒井一族が
管理を任せられたと言われており
筒井一族の末裔が代々受け継ぎ
現在の
「筒井時正 玩具花火製造所」を
創業したのは昭和4年
1代目
筒井 時正(つつい ときまさ)さんが
玩具花火の製造を手掛け
「ねずみ花火」を考案しました。
玩具花火は
手に持てるような花火です。
2代目
正穂(まさほ)さんは、
年間約100万本の手持ち花火の製造
また、
仕掛け花火の
「超巨大ナイアガラ」も製造しています。
3代目となった
筒井良太(つつい りょうた)さん
この時代から
消えそうになった
日本の線香花火を継承し作られています。
1973年(昭和48年)生まれ
福岡県出身。
正穂さんと
勝子さんの長男として誕生し
兄弟は、
弟の「研氏」さんと
妹の「利華」さんの3人。
花火師の元に生まれ
高校の時
「継がなければ」と思いながらも
高校卒業後
一度はサラリーマンをしたいと
愛知県の自動車製造業に就職。
21歳で家業を継ぐと決め
3年後、地元に戻りました。
「線香花火」は
安価な輸入品が市場に出回るようになり
日本で生まれた線香花火は
価格で対抗できなくなっていき
絶滅寸前のように衰退していきました。
1995年(平成7年)
叔父が営む
「隅本火工」が廃業の可能性があり
「線香花火の作り方は
お前が技術を継いでおけ」と声がかかり
筒井 良太さんが修行に行き
線香花火作りの技法を懸命に修得。
1999年(平成11年)
その最後に1社だけ残っていた
国内唯一の線香花火製造所
「隅本火工(福岡県八女市)」が廃業。
修行から約3年
技術と道具、縒り手さんも一緒に
すべてを引き継ぎましたが
火薬の配合表だけは
譲り受けることが叶わず
自ら線香花火作りに取り組みます。
筒井 良太さん、38歳の
2010年(平成22年)9月
先代、「時正」の名前を譲り受け
3代目 筒井 時正を襲名。
福岡県みやま市に工房をかまえる
「筒井時正 玩具花火製造所」で
年間約50万本の「線香花火」を中心に
玩具花火を製造しています。
出演:Facebook
納得のいく線香花火ができるまで
実に10年
更に
進化した線香花火は
燃えの長いもので2分半も燃え続け
究極の美しさ光を作り出すまで
また10年の歳月を要しました。
妻の今日子さんとは
地元に戻ってから出会い、24歳で結婚。
今では三男一女の父親です。
昔ながらの伝統を守りながらも
国産の高品質な線香花火を作るため
新たなブランディングで
今までにない商品開発に取り組み
次世代へ繋いでいこうと
情熱を注いでいます。
筒井今日子さん
筒井 今日子(つつい きょうこ)さん
1976年生まれ
福岡県出身。
出演:HP
筒井 今日子さんが見た
一本の線香花火が
新たな幕開けとなったのです。
夫の筒井 良太さんが
製造所を受け継いだ頃
今日子さんは
育児に専念していましたが
職人気質で研究熱心な良太さんは
真っ黒になって
毎朝明け方に帰宅していたので
「いったい毎日何しているんだろう?」と
不思議に思っていました。
「どんな花火を作っているのか見せて」と
見せてもらいました。
その目にした線香花火は
これまでの線香花火とは比べ物にならない程
玉が大きくて異なる光が遠くまで飛んで
あまりの美しさに感動し衝撃を受けました。
そこで
「こんなに素晴らしい線香花火は
輸入品と価格競争すべきじゃない」と
良太さんと話し合い
「日本の良いものとして
素晴らしい日本の花火がある事を伝えよう」と
提案したそうです。
良太さんもそれに応じて
究極の線香花火作りを極め続け
売るため、花火を後世に残すため
デザインの重要性も大切な事と理解し
プロのデザイナーと共に
オリジナル商品を開発していき
多くの人に伝えようと
「玩具花火研究所」も立ち上げ
多方面に情報発信をしていきます。
最高級の「花々」という看板商品は
線香花火が桐の箱に40本入っていて
和蝋燭と蝋燭立てがセットになって1万円。
高級国産線香花火 花々 | ||||
|
「線香花火で1万円!?」と
驚きでしょうけど
ノベルティ(企業が無償で配られるアイテム)や
引き出物、ギフトなどに使われやすく
好評だといいます。
新商品開発には
デザインの力が
成功に導いた大きな要因の一つとなり
今後は
花火が出来る場所
花火を楽しんでもらうための
「遊び場の提供」に力を入れ
花火と蛍や川魚など
自然を堪能してもらうという
宿泊施設『川の家』までもオープンさせ
ワークショップ、イベント開催など
情熱の挑戦と夢は
夫婦揃って
留まることなくはかり知れません。
筒井良太さん情熱大陸
究極の火花の美しさを作り出す線香花火職人
「どこにも行けない夏に、
幻想的な火花の世界へ。」と題して
8月15日
23:00~23:30
MBS(毎日放送)の
情熱大陸で筒井 良太さんが出演。
筒井 良太さんが
引き継いだ当時は
輸入品と対抗するため
コストを切り詰め大量生産した結果
国産ではあるものの
品質は安定していなかったそうで
「こんなものでいいのか」と
迷いはあったと思います。
価格競争には敵わないと
個性と質で勝負。
線香花火職人として
日本の良いものにこだわることにして
一から火薬などの配合の研究を見直し
究極の火花の美しさを出す線香花火に
20年も極め続けた筒井 良太さんの
情熱大陸です。
途絶えかけた伝統を引き継ぎ
次の世代に繋げるため
日々新しいものを模索し
そこには
子供たちが楽しむ
「笑顔」がありました。
まとめ
線香花火の
「スボ手牡丹(すぼてぼたん)」を
製造しているのは
日本で筒井 良太さんのみの
線香花火製造職人。
今日子さんの
線香花火を見た驚きがなかったら
それはそれで
終わっていたかもしれない線香花火。
線香花火の原料のため
田んぼを買っての米作りや
花火を楽しむ場所として
宿泊施設『川の家』を
オープンしてしまうというこだわり。
情熱大陸の出演では
花火は
「生き物の感じがする」と語った
筒井 良太さん。
日本の線香花火を守りぬく
筒井時正玩具花火製造所の
3代目
筒井 良太さん、今日子さんの
話をしてきました。
常識にとらわれず
前へ進んだことが
筒井時正玩具花火製造所にとって
新たな発展に導いた要因だと思いますが
何より
線香花火を愛していることが伝わります。
子どもたちが線香花火を
知らないまま大人になってしまう
懸念を思案して奮闘しています。
「飛び散る火花はひとつの物語」
子どもたちの笑顔の輪の中で
線香花火の花が咲き、心に花が残る
平和で美しい光景が
いつまでもずっと
日本の夏の風物詩として続きますように・・・
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
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