敬老の日(けいろうのひ)は、9月の第3月曜日で日本の国民の祝日の一つです。
2002年(平成14年)までは9月15日を「敬老の日」としていましたが、「老人の日」と改められ、2003年(平成15年)から、9月の第3月曜日が「敬老の日」になりました。
敬老の日と老人の日の違い
【敬老の日】(平成15年から)
・国民の祝日に関する法律(祝日法)で定められた「国民の祝日」
・日付:9月の第3月曜日
・趣旨:「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」
【老人の日】(平成14年から)
・老人福祉法で定められた「記念日」
・日付:9月15日
・趣旨:「国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す」また、老人福祉法により9月15日~21日までの一週間を「老人週間」と定めています。
「敬老の日」と「老人の日」の違いは、実施日、祝日と記念日、祝日法と老人福祉法や趣旨の違いがあります。
敬老の日のはじまり
1947年(昭和22年)9月15日
兵庫県多可郡野間谷村(現:多可町八千代区)の当時35歳の村長・門脇政夫(かどわき まさお)さんと助役であった山本明さんによりはじまります。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨でお年寄りに敬意を表し、知識や人生経験を次の世代に伝授してもらう場として、55歳以上の住民を公会堂に招いて村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされています。
当時は、まだ戦後の混乱期でありました。
子供を戦地に送った親たちは精神的に疲労しており親孝行して報いたいという思いや、また老人軽視の風潮があらわれたことで、自信を失った高齢者を励まそうという思いから、農閑期(農業の仕事がひまな時期)の気候も良い9月中旬ということで9月15日に決め、開催されました。
敬老の日の経緯
次の年の、1948(昭和23年)年7月
国民の祝日に関する法律において「こどもの日」、「成人の日」が定められたものの老人のための祝日は定められませんでした。
1948年9月15日
野間谷村で開催された第2回「敬老会」において、9月15日を「としよりの日」として村独自の祝日とすることを提唱し、その趣旨への賛同が県内市町村に広がります。
1950年(昭和25年)
兵庫県が「としよりの日」を制定し敬老、福祉の県民運動を展開し全国に広がります。
1951年(昭和26年)
地域福祉の推進を図る民間団体の、中央社会福祉審議会(現:全国社会福祉協議会)も全国運動を提唱し国民的行事として行なう事とします。
9月15日を「としよりの日」、9月15日から21日までの1週間を運動習慣と定めます。
「老人を敬い慰め励すとももに老人福祉に対する国民的理解を促進し、老自身もまたその立場を自覚し新い社会建設に参加する」ことをうたって第1回「としよりの日」運動を実施します。
1952年(昭和27年)
中央社会福祉審議会は、第2回「としよりの日」運動の一貫において、運動名称「としよりの日・としよりの福祉週間」として「老人クラブづくり」が掲げられ様々な活動が推進されました。
1963年(昭和38年)
老人福祉法公布により9月15日が「老人の日」
9月15日から21日までの1週間を「老人週間」として定められ、運動名称「老人の日・老人週間」に改称。
「としより」という表現が問題視されていたことから「老人の日」となります。
1966年(昭和41年)
国民の祝日に関する法律が改正されて「敬老の日」として国民の祝日となりました。
老人福祉法でも「老人の日」が「敬老の日」に改められ、運動名称「敬老の日・老人福祉週間」に改称され1993年(平成5年)に運動名称「敬老の日・老人保健福祉週間」に改称。
兵庫県多可町
敬老のうた きっとありがとう
9月第3月曜日への移動
2001年(平成13年)
祝日法改正による、ハッピーマンデー制度の実施によって(ハッピーマンデー制度とは月曜日を国民の祝日とする事によって土曜日・日曜日と合わせた3連休とする趣旨)。
2003年(平成15年)から、9月第3月曜日が「敬老の日」として実施され現在に至ります。
9月第3月曜日への移動にあたっては、提唱者の門脇政夫や財団法人全国老人クラブ連合会(全老連)の反対もあり、2001年(平成13年)に老人福祉法を改正して9月15日を「老人の日」。
同日より1週間を「老人週間」に制定されました。
9月15日 説
9月という開催時期は、兵庫県多可郡野間谷村(現:多可町八千代区)の農閑期であることや気候に由来するものです。
その頃は中秋の名月の時期であり、秋の収穫の一段落した頃でもあることから、9月15日と村長の門脇政夫は定めました。
その野間谷村の由来に加え、門脇政夫は「養老の滝伝説」を参考にしたという話があります。
若返る、または痛みなどが取れる泉という「万病を癒す薬の滝」の伝説、後代に入って酒の湧く泉という「親孝行の滝」の伝説など、伝説が伝説となっている「養老の滝伝説」は様々な言い伝えがあり諸説有ります。
第44代天皇、女帝・元正天皇(げんしょうてんのう)が、霊亀3年(717年)に、外出で滝を訪れたのが9月(20日)であること。
そして「醴泉(れいせん=甘い味の泉)は美泉なり。
もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。・・・」と「老いを養う若返りの水」として天皇の命令を出し年号までを「養老」と改元し、全国の高齢者に賜(たまもの)が与えられたと言います。
この、「養老の滝伝説」を参考に「敬老会」の開催へと発展したようです。
また俗説となる根拠のない由緒づけようとする説は、593年の9月15日、聖徳太子が大阪の四天王寺に「非田院(ひでんいん)」を設立した説があります。
「非田」とは、「慈悲の心をもって貧苦病苦の人を救えば、福を生み田となる」という意味で、現在の社会福祉施設や高齢者施設のようなもので、貧しい人や孤児、お年寄りや身体の不自由な人を救う為の施設を建立した日とする説です。
いずれにしても兵庫県多可町の「としよりの日」が由来であることは間違いなく日本の一つの村から誕生したもので、「他説」は、後から付け加えられたものと思います。
「としよりの日」が「敬老の日」となった経緯だけで、祝日となった日本独自の祝日であり海外から入ってきた記念日でもなく、皇室行事に関係したものでもなく、日本古来の伝統文化に由来するものでない事が伺えます。
最後に
「敬老の日」は、長寿を祝う日で「老人の日・老人週間」は、各種行事等を実施することにより啓発や呼びかけを行うため、制定されているもので意味合いが違うものになります。
法令では65歳以上を「高齢者」として「老年人口」に区分されていますが、高齢化社会ですから「敬老の対象ではない」と思っている人が多くいらっしゃるのも現実です。
「老人」の年齢の捉え方は、地方や地域によって、年代ごとによって異なります。
捉え方は人によって様々ですので失礼のないように、お歳を召された方、年長の方に人生の経験者として敬愛し感謝の気持ちを表し、長寿を祝い楽い時間を過ごす日となりますように・・・
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